~Y.Oさんとの個人セッションで氣がついた自分の思い込みの縛りからの解放~ [インナーチャイルドの癒し]
~Y.Oさんとの個人セッションで氣がついた自分の思い込みの縛りからの解放~
私は今、長野県諏訪郡原村という場所でペンションとローフード料理教室、そしてリラクセーションサロンを夫と共に、経営しています。
このブログでも綴ってきたように、両親とはいろいろあって、彼らが高齢になっても、「近寄りたくない」、「近寄れない」といった氣持ちがかなり長く続きました。
幼少期の「恐怖の思い込み」というものは、これほどまでに自分を縛ってしまうものなのですね。
そうは言っても、「それも私が今生で書いてきたシナリオのひとつ」ということもわかっています。
これからも、「枠とり&殻とりゲーム」は必要なタイミングでもたらされるのかもしれません。
けれどもこれからは、「いつも今ここ、この瞬間に集中する人」であることを軸にすることを意図させて頂きます(と宣言します・・・笑)。
さて、ここへ来てようやく、「両親の住まう湘南・鎌倉周辺に業務移転したい」と真剣に思うようになりました。
理由のひとつとして、ペンションという宿泊業の形態をとることは、本当に自分たちがやりたいことを脇にそらしてしまうことに氣がついたからです。
正直、利益が出ているとも言えません。
「願う前に願いがかなう本」(ソウルメイト研究家・Keiko著)に言わせると、こういう状態というのは「宇宙があなたらしくないことをしているから応援していない」とも言えるのだそうです。
また、会うたびに高齢になっていく両親とは、いわゆる「スープの冷めない距離」に物理的に住んだ方が、仕事をする私自身にとっても何かと安心です。
さらにもっと正直に書きますと、「両親を全面自宅介護したい」とは思っているわけではないのです。
自分たちがやりたい事(「社会に対しての奉仕」を、ビジネスという形に変えてお仕事をしていくこと)で自立しながらも、両親に対して「こちらが出来る事、やれる事はやっていこう」というスタンスでいます。
この事で、以前より必要なタイミングでお世話になっているY.Oさんの個人セッションで、とても貴重なアドバイスを頂きました。
「両親が介護が必要になって、介護離職をする人がいるけれど、それは本当の意味で、その人自身の人生を生きておらず、両親のための子供(つまり付属品)として生きることになります。」
「自分自身の大切な仕事(あるいは大好きな事)を投げ打って、滅私奉公することは、その人自身にとっても、両親にとっても、本当の人生を生きているとは言えないのです。親も魂の部分では喜んでいるとはいえません。」
「親の面倒は必ず子供がみるというのも、その家の慣例だったり、古い時代からの思い込みであり、本来の宇宙はもっと豊かで自由なものです」
自分自身の中で、そう思っていても、ついつい自己犠牲(これもある意味見栄ですね)のクセが出てしまう事があります。
あとは人からそういう選択をすることを非難されたりですとか(これも自分自身の負の思い込みを心の鏡で表してくれているだけ)。
自己犠牲は「し・ば・り」=「負の思い込み」です(笑)。
今回の内容の個人セッションは、自分の中には既にある答えだったのかもしれません。
でも、それを信頼のおけるおまかせできる方におっしゃって頂くことで、「これでいいのだ!」と勇氣を頂けました。
あらゆるカウンセリングや心のセラピーの個人セッションは、こういう時のために存在しているのでしょうね。
Y.Oさん、貴重なアドバイスを頂きまして、本当にありがとうございました!!
私は今、長野県諏訪郡原村という場所でペンションとローフード料理教室、そしてリラクセーションサロンを夫と共に、経営しています。
このブログでも綴ってきたように、両親とはいろいろあって、彼らが高齢になっても、「近寄りたくない」、「近寄れない」といった氣持ちがかなり長く続きました。
幼少期の「恐怖の思い込み」というものは、これほどまでに自分を縛ってしまうものなのですね。
そうは言っても、「それも私が今生で書いてきたシナリオのひとつ」ということもわかっています。
これからも、「枠とり&殻とりゲーム」は必要なタイミングでもたらされるのかもしれません。
けれどもこれからは、「いつも今ここ、この瞬間に集中する人」であることを軸にすることを意図させて頂きます(と宣言します・・・笑)。
さて、ここへ来てようやく、「両親の住まう湘南・鎌倉周辺に業務移転したい」と真剣に思うようになりました。
理由のひとつとして、ペンションという宿泊業の形態をとることは、本当に自分たちがやりたいことを脇にそらしてしまうことに氣がついたからです。
正直、利益が出ているとも言えません。
「願う前に願いがかなう本」(ソウルメイト研究家・Keiko著)に言わせると、こういう状態というのは「宇宙があなたらしくないことをしているから応援していない」とも言えるのだそうです。
また、会うたびに高齢になっていく両親とは、いわゆる「スープの冷めない距離」に物理的に住んだ方が、仕事をする私自身にとっても何かと安心です。
さらにもっと正直に書きますと、「両親を全面自宅介護したい」とは思っているわけではないのです。
自分たちがやりたい事(「社会に対しての奉仕」を、ビジネスという形に変えてお仕事をしていくこと)で自立しながらも、両親に対して「こちらが出来る事、やれる事はやっていこう」というスタンスでいます。
この事で、以前より必要なタイミングでお世話になっているY.Oさんの個人セッションで、とても貴重なアドバイスを頂きました。
「両親が介護が必要になって、介護離職をする人がいるけれど、それは本当の意味で、その人自身の人生を生きておらず、両親のための子供(つまり付属品)として生きることになります。」
「自分自身の大切な仕事(あるいは大好きな事)を投げ打って、滅私奉公することは、その人自身にとっても、両親にとっても、本当の人生を生きているとは言えないのです。親も魂の部分では喜んでいるとはいえません。」
「親の面倒は必ず子供がみるというのも、その家の慣例だったり、古い時代からの思い込みであり、本来の宇宙はもっと豊かで自由なものです」
自分自身の中で、そう思っていても、ついつい自己犠牲(これもある意味見栄ですね)のクセが出てしまう事があります。
あとは人からそういう選択をすることを非難されたりですとか(これも自分自身の負の思い込みを心の鏡で表してくれているだけ)。
自己犠牲は「し・ば・り」=「負の思い込み」です(笑)。
今回の内容の個人セッションは、自分の中には既にある答えだったのかもしれません。
でも、それを信頼のおけるおまかせできる方におっしゃって頂くことで、「これでいいのだ!」と勇氣を頂けました。
あらゆるカウンセリングや心のセラピーの個人セッションは、こういう時のために存在しているのでしょうね。
Y.Oさん、貴重なアドバイスを頂きまして、本当にありがとうございました!!
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