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~過去生、その2、『日本、幕末から明治にかけての時代、荻野吟子編』~ [過去生を知る意味]

「荻野吟子」という人物をご存じでしょうか?

荻野吟子とは、日本が幕末だった時代に、現在の埼玉県熊谷市妻沼に生まれ、その後苦労を重ねながら、日本で初めて西洋医学の女医となった人物です。

その吟子さんですが、私は吟子の魂を何パーセントか引き継いで生まれてきていたことがわかったのです。

実は私が以前住んでいた場所が熊谷市。

その熊谷市在住の間に、この事が分かり、とても衝撃を受けたことを今でも覚えています。

「自分は荻野吟子だったことがある!」

そのあまりのシンクロの凄さ!

このことに気が付いた瞬間に、何故か熊谷市駅周辺一帯で、大きな雷が発生し、稲妻が轟き始めました。

もともと熊谷市は雷の発生が多い地域でもありますが、まるで何かの合図でもあるような瞬間でした。

ジャンヌ・ダルクの過去生が分かった事を書いた時に、同じ事をお伝えしましたが、荻野吟子さんの魂の何パーセントかを持った方、というのは複数名いて、私はそのうちの一人です。

しかし、今思えば荻野吟子の魂の解放は、「私は過去生で荻野吟子だったことがある!
といったことについて、現在の私が知ることとなる」といったストーリーで、きっと私の人生のシナリオに
組み込まれていたのだろうと思うのです。

そのくらい濃い、感情の解放の経験をしました。

いずれにしても、私の場合は熊谷市に住んでいる頃、どういうわけか、丁度ヒプノセラピー(催眠療法)
について学び、ブライアン・ワイス博士のことや、過去生療法に取り組んでいる越智啓子先生のことを知り、
輪廻転生について、はっきりと「人は輪廻しているのだ」と知ることとなった時期でした。

「元『荻野吟子』が埼玉県熊谷市に住みながら、前世療法を学び、自分は荻野吟子だったことがある」と知ることとなった出来事は果たして偶然なのでしょうか?

それとも守護天使といわれている存在と共に、自分自身が生まれる前に書いてきたシナリオだった
のでしょうか。

よくヒプノセラピー(前世療法)や過去生リーディングなどを受けた時の一般的な理解として、「自分の前世がわかった!私は当時の自分の前世にできなかった〇〇〇をすることが今回の私の人生の使命だ!」というような解釈があります。

これはある意味において、とても有効な過去生から持ち越してきている感情の解放だと思います。

自分の人生の目的や使命といったことが分かりますし、そうすると今の人生に対しても、ただぼんやりと
或いはモヤモヤしながら生きるのではなく、目的意識を持ちながら、「人は輪廻転生しているのだ」ということを体験として学ぶわけです。

「目に見える事や、学校や社会で習う事が全てではない」ということを、体験的に知ることになります。

私の場合、ヒプノセラピーや過去生リーディングなどで、セラピストが感情の解放を導くのとは別に、
直感として「自分が過去生で荻野吟子だった」と解かってしまいました。

言葉で説明することがとても難しいのですが、自分の過去生がわかる瞬間というのは、
とにかく「そうだった!」と氣づくために、ありとあらゆるヒントのような出来事が、身近な場面で何度も
現れたことを覚えています。

その後「直感」で、「自分の過去生は荻野吟子だったことがある!」と氣づいたわけです。

この出来事は、結果として、自分が荻野吟子だった時代の魂の記録を活性化してしまう事となって
しまいました。

セラピーを受け、セラピストが感情の解放のお手伝いをするのとは違って、この、「前世の記憶の活性化」の場合、この時代のやり残しのドラマをいくつか演じることとなってしまいました。

当時の人間関係や、恋愛感情が再現されたり、似たようなことを行動してみたりと、そのまま当時のやり残しともいえるような感情的ドラマを体験することになりました。

「過去生のやり残し感情ドラマ」は実際ハマってみると、私の場合は結構辛いを体験したことを
覚えています。

そのくらい「濃い」ドラマでした。

それでも今では必要な出来事だったと理解しています。

その時の魂の解放メンバーは、まさに荻野吟子の一生について書かれている小説に出てくる面々でした。

「荻野吟子」については医師で作家の渡辺淳一氏が、小説「花埋み(はなうずみ)」として発表しています。

偶然なのか、後々私の守護天使が予め設定してきたシナリオだったのか、「花埋み」の初版は私の生年月日と同じなのです。

守護天使も素晴らしい演出です(笑)。

はっきりとわかるように(笑)、しかも私にとってはセンセーショナルに、演出をしてくれました。

「荻野吟子」もまた、女性として沢山の屈辱を味わいながら、苦労して医師になり、そしてまた、苦労して
亡くなった女性だったようです。

彼女の人生のいくつかは、当時の私の父の性格や母の性格に投影されていました。

つまり私自身の癒されていない内面(過去生)の鏡だったということです。

私の父はよく、「変人扱い」されていましたが(統合失調症だった)、実際当時の荻野吟子もまた、「変人扱い」されていたようです。

難関と言われた医師になるための試験も、男性からの差別も、お金の工面も、自分の執念をバネに、
突破して、最後はとうとう念願の医師(現在の産婦人科と外科)になりました。

しかし、当時の状況からすると、立派だったとはいえ、苦難まみれだったようです。

最後は幸せとは言えない死でしたから、ある意味とても「悔しい」という思いを残して死んでいったのでは
ないかと思います。

その執念みたいなものを、今回の人生の最初から中盤までは、私自身が背負っていたとは・・・・・とても
衝撃を受けました。

吟子の感情を解放する事は、今思えばとても大変でした。

ヒプノセラピー(前世療法)」や過去生リーディングで解放できればもっと楽だったのかもしれません。

しかし私はそういったものでは解放できず、先に直感で思い出してしまったため、感情ドラマを
演じてしまいました。

でも、これも意味があったようです。

ヒプノセラピーを受けても前世を体験しない人もいらっしゃるかと思いますが、これも理由があるのです。

「人生のシナリオ」は・・・「本当に私がコレ書いたの?」って、言いたくなってしまうことがたくさんありました。

いずれにしても、この体験は、人間関係や自分のある種のパターンを知ることとなり、深い学びの体験を味わったといえます。

けれども大きな感情ブロックが外れ、過去生やり残し感情ドラマが終わってくると、当人にとって、
「素晴らしい世界の夜明け」に繋がっていきます。

ドラマを演じている最中は全く信じられないことでしたが。。。

それは今になって、ようやく「しみじみ」と解かってきました。

そして「人生のしくみと演出」に、感謝の気持ちが芽生えてくるのです。




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