セルフ・イメージを上げることの大切さ [セルフ・イメージ]
セルフ・イメージの大切さを身を持って体験してきました。
もともと親子関係が良く、家庭環境が良かった場合はセルフ・イメージなどという概念は必要ないかもしれません。
けれども両親が不仲だったり、DVだったり・・・となると、その子供はセルフ・イメージが低い、劣等感たっぷりの子供がやがて成人します。
過去のワタシがそうでしたので、このあたりは実証してます(苦笑)。
本人は本当は劣等感たっぷりな事を心の底ではわかっているのだけれど、それを隠すために、あれやこれやと、好きでもない「〇〇に有利だから」といった理由で資格をとったり、専門学校に通ったり、〇〇ビジネススクールに通い、MBAを取得し・・・・この件において、氣がつくまでエンドレスな旅を続けるのです。
「本人が好きでもないのに・・・社会的な常識や価値観に照らし合わせて・・・」がポイント!です。
ブランドもののバックとを「好きだから買う」のと、「本当はあまり好きじゃないのだけれど、〇〇ならば世間でも高級ブランドとして扱われるし、いい女っぽく見えるから買う」のとでは俄然意味が違ってきます。
なぜならそうでもしないと、死んでしまいたくなるくらいセルフ・イメージが低いから。
といいますか、生きていく為のプライドをなんとか〇〇ブランドでキープしていると言ったほうが正解かもしれません。
そういった意味においても子供の頃の家庭や社会の環境は本当に大切ですね。
私はセルフ・イメージが低かったがために、ある時期殆どの事について「なんでもどうでもいいや」と思っていた時期がありました(因みに、この「なんでもどうでもいいや」と「大いなる自己へのあけわたし」は似て非なるものです)。
その結果、宇宙は本当に正直でした!!!
「なんでもどうでもいい」と思っていると、本当にその通りのシロモノが目の前に現れたのですから(笑)。
場合によってはそれを受け取る羽目になりかねません。
「私はコレが好き!私はアレが嫌い!」という「自分の好みをはっきりさせること」がとても大切です。
「好き・嫌い」をはっきりさせることは、決してワガママではなく、自己を知ることに繋がるのです。
「ああ、私はこれはしっくりくるけれど、これは嫌なんだなあ」だとか、「これはステキって思えてワクワクするけど、これはダサいわね」だとか・・・
こういう感覚を養っていくことがとても大切なのです。
セルフ・イメージが低いと「私はそんなことを言う資格はない」などと勝手に思い込んでしまいますが、これでは自分が一体何が好きで何が嫌いなのかさえわからなくなります。
両親の元では「あれダメ、それダメ」で「ダメのダメ押し」で育てられると、なかなかそうは思えなかったことも事実ですけれど。
でもそのままでは真の自己を生きている意味には繋がりません。
それを私は結婚後、パートナーに対してやってしまっていました。
母が父に対してとっていた態度がまさにそうだったのですが、それを知らぬ間に、自分も引き継いでいたのです。
自分の好みは言わず(抑え)、相手に譲って譲って譲りまくる・・・ついでに与えて与えて与えまくる・・・・。
過去の日本人女性において、この態度は美学だったかもしれません。
でも、現代は違います。
相手の好き・嫌いを認めながらも、「私はコレが好き!」という事がとても大切なのです。
これを「私はコレが好き!」という表現なしで、人にばかり譲り、自分の好みを言わないでいると、やがて枯渇して、自分が崩れていきます。
本当は何がしたいのかさえわからなくなり、人によっては病気になってしまうかもしれません。
セルフ・イメージを上げましょう。
自分に与えることを許しましょう。
自分のハートのワクワク感にしたがいましょう! (バシャールもそう言ってます)
もともと親子関係が良く、家庭環境が良かった場合はセルフ・イメージなどという概念は必要ないかもしれません。
けれども両親が不仲だったり、DVだったり・・・となると、その子供はセルフ・イメージが低い、劣等感たっぷりの子供がやがて成人します。
過去のワタシがそうでしたので、このあたりは実証してます(苦笑)。
本人は本当は劣等感たっぷりな事を心の底ではわかっているのだけれど、それを隠すために、あれやこれやと、好きでもない「〇〇に有利だから」といった理由で資格をとったり、専門学校に通ったり、〇〇ビジネススクールに通い、MBAを取得し・・・・この件において、氣がつくまでエンドレスな旅を続けるのです。
「本人が好きでもないのに・・・社会的な常識や価値観に照らし合わせて・・・」がポイント!です。
ブランドもののバックとを「好きだから買う」のと、「本当はあまり好きじゃないのだけれど、〇〇ならば世間でも高級ブランドとして扱われるし、いい女っぽく見えるから買う」のとでは俄然意味が違ってきます。
なぜならそうでもしないと、死んでしまいたくなるくらいセルフ・イメージが低いから。
といいますか、生きていく為のプライドをなんとか〇〇ブランドでキープしていると言ったほうが正解かもしれません。
そういった意味においても子供の頃の家庭や社会の環境は本当に大切ですね。
私はセルフ・イメージが低かったがために、ある時期殆どの事について「なんでもどうでもいいや」と思っていた時期がありました(因みに、この「なんでもどうでもいいや」と「大いなる自己へのあけわたし」は似て非なるものです)。
その結果、宇宙は本当に正直でした!!!
「なんでもどうでもいい」と思っていると、本当にその通りのシロモノが目の前に現れたのですから(笑)。
場合によってはそれを受け取る羽目になりかねません。
「私はコレが好き!私はアレが嫌い!」という「自分の好みをはっきりさせること」がとても大切です。
「好き・嫌い」をはっきりさせることは、決してワガママではなく、自己を知ることに繋がるのです。
「ああ、私はこれはしっくりくるけれど、これは嫌なんだなあ」だとか、「これはステキって思えてワクワクするけど、これはダサいわね」だとか・・・
こういう感覚を養っていくことがとても大切なのです。
セルフ・イメージが低いと「私はそんなことを言う資格はない」などと勝手に思い込んでしまいますが、これでは自分が一体何が好きで何が嫌いなのかさえわからなくなります。
両親の元では「あれダメ、それダメ」で「ダメのダメ押し」で育てられると、なかなかそうは思えなかったことも事実ですけれど。
でもそのままでは真の自己を生きている意味には繋がりません。
それを私は結婚後、パートナーに対してやってしまっていました。
母が父に対してとっていた態度がまさにそうだったのですが、それを知らぬ間に、自分も引き継いでいたのです。
自分の好みは言わず(抑え)、相手に譲って譲って譲りまくる・・・ついでに与えて与えて与えまくる・・・・。
過去の日本人女性において、この態度は美学だったかもしれません。
でも、現代は違います。
相手の好き・嫌いを認めながらも、「私はコレが好き!」という事がとても大切なのです。
これを「私はコレが好き!」という表現なしで、人にばかり譲り、自分の好みを言わないでいると、やがて枯渇して、自分が崩れていきます。
本当は何がしたいのかさえわからなくなり、人によっては病気になってしまうかもしれません。
セルフ・イメージを上げましょう。
自分に与えることを許しましょう。
自分のハートのワクワク感にしたがいましょう! (バシャールもそう言ってます)
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