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~2015年3月4日、父の米寿、母の傘寿の祝いの席にて(あちらの世界からのお知らせ)~ [あちらの世界からのお知らせ]

本来ならば、本年の3月4日すぐにアップする内容なのですが、これも『流れ』なのでしょうか。。。

今になって、文章が降りてきた感があるので、本日2015年7月8日(水)に綴らせて頂きます
m(_ _)m

たぶん、昨今の憲法改正に絡んでの、魂の奥底からの声、「ちょっと待った」、「今書け」・・・のような氣がします。

今年のひな祭りのすぐ後、3月4日に『父の米寿(数えで88歳)、母の傘寿(数えで80歳)の祝いの席』を、実家のある藤沢駅南口のとある日本料理屋で、家族皆で祝いました。

夫も一緒に同席してくれました。

そしてこの企画も、実は、「あちらの世界からのお知らせ」がきっかけでした。

先輩ヒーラーさんより、父方の亡くなった祖母(父の実母)より、「尾頭付きの鯛でお祝いしたい」、「お赤飯でお祝いをしたい」等々・・・前回のブログで綴った「父(祖母からみれば息子)を(私の体つかって)抱きしめたい」といった数々のリクエストのひとつだったのです。

両親それぞれが、還暦や喜寿の時、私自身は何もせず・・・といいますか、する氣にならないくらい、当時その年齢になっても父、母、そして私の間にはいろいろとあったのです。

そうは言っても、父と母、それぞれの誕生日に、「何がしかをプレゼントする」、ということだけはやっていました。

「尾頭付きの鯛と赤飯・・・。」

一瞬、両親のマンションのキッチンで、2人が待っている間、私が鯛の塩焼きを焼いたり、お赤飯を炊いたりしているイメージが脳裏をよぎりました。

けれども、「これは全然楽しくない・・・(笑)。」

ローフーディストでベジタリアンの私にとって、今となっては「なんで私が鯛の尾頭付きを料理せなあかんの?」といった氣分。

私が楽しいと思わないことは、やったところで相手にも伝わらないだろうな・・・と。

そんなこともあって、夜が遅くなると年寄にはちょっと辛いので、昼の懐石料理でお祝いすることにしました。

お店には、予め「鯛の尾頭付き塩焼きをお願いします」だとか、「父が米寿で、母が傘寿のお祝いなんです」と、伝えていたお蔭もあってか、当日はちゃんとお赤飯がでてきました!(感謝です!)

お赤飯までは無理かなと思って、予め長野で前の晩遅くに炊いたお赤飯をお重箱に詰めて、当日持参しましたが、お店でも用意しておいて下さったのでした。

その後、食事が始まって、早速食いしん坊の父が、いろいろなお料理にお箸をつけ出している最中、ふと、「そうだ!今まで父の話をあまり聞いたことがなかったから、彼にいろいろと質問をしてみよう!」と思い立ちました。

そして、今まで尋ねにくかった様々な事について、この際いろいろと聴いておこうという氣持ちになり、「お父さんの子供の頃はどうだった?」的な質問をどんどんしていきました。

すると、ナント父が急に自分の母の話をし始めたではありませんか!

「おふくろは~~~~中略~~~~だったよ。」

「おふくろは、憲兵を観てたまげていたっけなあ(大笑)。」

きっと、その場に父の母が来ていたのだと思いました。

父はまるで、自分の母を安心させるような話しぶりで、終始「いいおふくろだった」という内容の話で終わりました。

既にあちらの世界へ帰っている祖母も、これを聴いてきっと嬉しかったと思います。

私もこの展開には、「やはりこういう世界というのはあるのだなあ」と、改めて感じました。

そして、その後もいろいろな話が続きました。

父は陸軍幼年学校、士官学校時代の話が好きで(それが父の青春時代だったわけです)、どうしても戦時中や、軍隊の訓練の話になってしまうのですが、そこで私が初めて知った事がありました。

父の上の2人の兄は、年齢や時代もあり、徴収(もしくは志願?!ここはよくわかりませんでしがたが)されて、中国大陸で日本兵として戦ってきたと言うではありませんか!

「えっ?!それって現地へ行って実戦したっていうこと?!」と、私。

「そうだ」と、父。

実際に戦っていたとしたら、それ相応のことは、父の上の2人の兄は当然やってきたでしょう。

考えたくもないし、想像したくもなかったので、それ以上聴く氣にもなれず、その場はそのままやり過ごしましたが・・・。

後に、この話を沖縄在住の魂友にしたところ、「お父さん統合失調で、DVだった・・・・って、上の2人のお兄さんたちが、中国大陸で実戦してきた・・・それって、お父さんゴミ箱になっている。  親族の方も、きっと誰もそのこと、わかっていないよ!」と言われました。

「!!」・・・そういうことだったんだ!

父が統合失調だったため、彼自身の家族親族から厄介者&馬鹿者扱いされていましたが・・・自分の兄2人が行った行為のエネルギーが、家系内で彼をそうさせてしまった・・・とはね。

父は、その家系で本当にゴミ箱的に、そのエネルギーを引き受けたのです。

以前、越智啓子先生の著書(もしかすると啓子先生のクリニックのQ&Aのサイトだったかもしれません)の中で、「統合失調の人は、その家系の浄化を引き受けているのです」というお話しがありました。

それを読んだ当時、「そうだったんだ!!」と、一瞬光明を観たものの、「でも何故父が」という部分が自分の中で腑に落ちていなかったのです。

でも、こういう事だったのですね。

勿論それを引き受けるには、それ相応のカルマが父の魂の歴史にあったとは思います。

母との間のDVにしても、やはり、母にもそういったカルマがあったのでしょう。

ありがたや沖縄の魂友たち。

大感謝です。

これで謎が溶けました。

「なんでこんなにひどい父なのだろう」という原因が、大元が、判明しました。

沖縄在住の魂友たちは、勿論、沖縄在住ですから、そういった霊的なこと、エネルギー的なことに、私よりずっと詳しいのです。

私の頭の中には本田健さんの著書やセミナーでよく登場する「人間関係のマトリックス」が浮かび上がりました。

「ポジティブ自立とネガティブ依存」

こんな言葉が彼の著著である「ユダヤ人の大富豪の教え(ふたたびアメリカへ編)」に出てきましたっけ。

「人間関係のマトリックス」では、時間軸を「今」に置き、家族や会社、友人間などの人間関係のエネルギーの綱引きを観ていくわけですが、時間軸を「過去」に置くと、父の家系のエネルギーのでこぼこだったり、綱引きがなんとなく解かってきました。

大陸で実戦した話は、実際私が観たわけではないし、あくまで父の話からの想像にすぎないけれど・・・私自身の直感で、「正しい」と感じました。

もうこれは物理的な(そういう行動・行為をしたという)エネルギーの反発や引き寄せが、父に向かったのだろうと想像できました。

皆さんも、時々、「警察官の息子が逮捕された」ですとか、「校長先生の娘が不良になった」といった話を聴いたことがあるかと思います。

ものの見方を「こちらが絶対正しい」という論理に対して、宇宙は「果たして本当にそうだろうか?」という疑問符を、時として私達の成長・学びとして投げかけてくれます。

よくある例えで、「極陽は陰に転じ、極陰は陽に転ずる」という言い方もあります。

釈迦は最後「中庸であること」の大切さを説きました。

それが悟りのひとつでした。

私の長い長い、「お父さんは何故、何故、どうしてそうなってしまったの?!」の旅がようやく終わりに近づいてきました。

戦争はこんな形で次の世代にもエネルギー的な影響を及ぼしてしまうのです。

平和であることは本当にありがたいことなのです。


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