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2013年11月20日(水)実家訪問 [家族で話し合いができた!]

前回のインナーチャイルド「トラウマ大解放」の少し前にかかった、風邪のような症状がいまひとつ治りづらい状態が続いておりました。

しかも、一ケ月も咳や痰が続いていた為、さすがに「これはまずい」と思い、諏訪中央病院に検査に行って参りました。

昔小児気管支喘息だったこともあり、心の中では「トラウマ解放はいいけれど、当時の病気までひっぱってきてもらってはとても困る・・・これって・・・」と、内心冷や汗ものだったのです。

しかし、レントゲンとCTまで撮って異常なしでした。

まずはひと安心ですね。

それにしても感情解放系のセラピーでは、「当時持っていた症状」みたいなものがあると、もしかするとエネルギーレベルで再現してくる可能性はあるかもしれません。

実際ヒプノセラピー(退行催眠)ではよく、そういった現象があります。

でも、催眠から覚めるとその症状はなくなります。

きちんと学んだことがあるヒプノセラピストなら、「起きていた症状も現在に戻ってくるとなくなる」という暗示をいれて覚醒させます。

そのため、意識が「今、ここ」に戻ってくると、当時の症状というものは消えてなくなっているのが普通です。

こういった体に何か症状のようなものを持ち合わせていた場合、「当時の症状までは持ち出さない」とか、「身体の症状は消えてなくなっている」という暗示が、人によっては必要かもしれないですね。

私の場合は、「おそらく」ですが、「心理的抵抗というものが働いたのではないか・・・」と、思っています。

つまり「トラウマを持っていた方が都合がいい別の自分が存在する」ということです。

ちょっと信じられないかもしれませんね。

でも、無意識下では、そういった「普通に考えたら有り得ない自分」の顔が存在します。

それは誰かといいますと、いわゆるエゴです。

子供のような「あまのじゃく」だったりしますので、エゴ的インナーチャイルドと呼んだほうがわかりやすいかもしれません(笑)。

だから直前に風邪をひかせておいて、「手放す」ことに対して「抵抗」を試みるのです。

これは表面的には「まさか!」と思いますよね。

普通なら考えられないことですが、潜在意識下のレベルや無意識レベルのところでは、「トラウマ持っている方がいいもんね」という自分がいます。

ひょえ~!!

なんというあまのじゃく(笑)。

潜在意識レベル、無意識レベルで「綱引き」といいますか、「シーソーゲーム」が起きてしまうのです。

まあ、恐れを手放して「別に死ぬわけじゃないのだから~~~大丈夫よ~~~」って思えることが一番大切かと思います。

ホントはこのような事に氣をとらわれず、やりたいことをどんどんやっていけるようになることが一番大切です。

よくいう「今ここ、今ここに在ることを意識する」ということです。

前置きが長くなりましたが、今回のインナーチャイルドのトラウマ大解放のおかげで嬉しい事がありましたので、ご報告させて頂きます。

今回のブログのタイトルの通り、先日「ある事の話し合い」が目的で、実家に訪問したのですが、父、母、私の3人で、大切な話を正直にきちんと話をすることができたのです。

「あ~大切な話を正直にきちんと話をすることができてホントによかった!!」

おおげさではなく、「宇宙の全てに大感謝」という気持ちでした。

なぜなら、今まで大切な話については、母経由で父にお伺いを立ててから、父の意向や了承を確認してもらう、また、話の内容によっては母に門前払いされてしまうことが多かったからなのです。

これも、過去の自分の記憶が引き起こしているというのは、アタマでは理解していましたが、どうしようもありませんでした。

しかしこれでは本当に不便このうえありません。

いつも肝心な事、大切な事が後回し・・・

そして、後から重大なことが起こる・・・という負のサイクルでした。

でも!

今回は違ったのです!

「やった~!!」といった気分です。

超嬉しいです!

父がちゃんと私の目を見ながら意見交換し、話し合いに参加してくれたのです。

こんなことって初めてです!

信じられないかもしれませんが、私の場合はホントにそうなのです。

しかも内容が今の私の仕事についての相談、今後の2人の生き方(暮らし方)、老後の事(もう十分に老後ではありますが(汗))、などなど、かなり深い話ができました。

全てが解決したわけではありませんが、こうやって、喧嘩もなく、無視もなく、平常心で、お互いを思いやりながら、今後の人生を語れるっていう事が、こんなにも素晴らしい事だと知りませんでした。

普通のご家庭だと、これはもしかしたら当然のことだったりするのでしょうね。

でも、私にとっては、奇跡的とも言える、とても嬉しい出来事だったのです。

自分を癒すとこんなにすばらしい事が待っているのですね。

いろいろなトラウマをご両親に持っている方は、まずはご自分のインナーチャイルドを癒してあげるのが最短の道です。

今は様々なインナーチャイルド療法がありますので、ご自身の直感で「これがいい!」と感じるものを試されるのが一番よいかと思います。

いろいろな意味でタイミング、時期もあるでしょうが、「インナーチャイルドの癒し」はパワフルに自分の人生をよりよい方向へ導いてくれます。

逆に言えば、「いかに私達は『本当の自分』からインナーチャイルドに負のパワーを持って行かれている」という言い方もできるでしょうね

インナーチャイルドの癒し!

あなどれません(笑)。
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~自分のインナーチャイルドを癒すこととは・・・~ [インナーチャイルドの癒し]

今日のテーマそのものになる、あるワークショップに行って参りました。

私のお題目はまさに「子供の頃の自分の傷を癒す」、「子供の頃に作ってしまった思い込みのブロックを外す」等々、いわゆる「インナーチャイルドの癒し」でした。

もういろいろなところでやっているのですけれど。

今回何故か、このタイミングで再び必要だったみたいです。

ここでのインナーチャイルドの癒しは、ヒプノセラピー(催眠療法)の退行催眠とほぼ似たような形で、誘導瞑想の後、自分が「辛い」と感じている状態まで持っていき、小さい頃、その場で解放したくともできなかった、様々な感情を解放していく手法を取っていました。

実際自分が取り組んでみると、想像していた以上にものスゴイ解放がありました!

それと、自分でも「ギョッとするような言葉(汗)」が次から次へと出てきて・・・もう超びっくりどころか冷や汗ものでした。

「私ってこんなに癒されていなかったんだっけ!?」

「確かこのブログの最初には、『両親に対しては大感謝しか有り得ません』って、ワタシ書いていたよね!?」

「なのに私の口から出てくるこのセリフはいったい何なの?」

「ワタシってもしかして大ウソつき?!(笑)」

という、とにかく変性意識だからこそ出てくる言葉で、ふつうに言葉として出てきたら耐えられないようなセリフが、「これでもか」というくらい出てくる、出てくる(笑)。

しかも絶叫マシーン状態で叫んでいました(汗)。

簡単に言ってしまうと、この時の私は、もしも斉藤一人さんが聞いたなら、怒られてドヤされるような「地獄言葉」を連発しているのです!(大汗)

一人さんをご存じなら「天国言葉」「地獄言葉」をご存知かと思いますが、まさにそれです。

ご存じない方はこのまま読み進めて下さい。

で、その時の自分を観てみると、「丁度幼稚園の頃の自分」、「小学生低学年の自分」、「小学生高学年の自分」といった、なんと3人の自分自身のインナーチャイルドが、顔を真っ赤にして、目を吊り上げながら、こんなことを叫んでいるのです。

「お父さんっ!痛い、痛い、ぶたないでよ~!」

「ひどいっ!お父さんなんて死んじまえ~っ!いなくていいっ!蹴らないで~!痛い!痛い!うえ~ん!」

「あやまれ~っ、お父さんなんて許さねえ~っ!あやまれ~っ!」

「わ~っ(大泣)」

「え~ん、え~ん、お父さんなんて死んじまえ~っ!」

「許さねえ~(大泣)わ~ん」

もうこうやって書いているだけで大汗です。

けれども、今の私の顕在意識(表面意識)では、何故父親が母や私に暴力をふるっていたのかは、過去生の自分のカルマからそうなっていた事を既に知っているのです。

だから、今の大人の自分の顕在意識では父の事は許していたつもりでした。

少なくとも私の気持ちとしては許してました。

しかし、当時まだ子供だった頃の私の気持ちは「何がなんだかわからないまま」、暴力を受けたり、その場面を見ていました。

子供だった自分は、その当時の気持ち、その時に溜めていた怒りが「ここぞ」とばかり、ワンサカでてきてしまったのです。

そう。

大人の自分は許していても、インナーチャイルドの自分が許してなかった・・・。

何度かやっているハズのこのワーク・・・。

またしても出てきました。

根深い・・・。

そういった事実を突き付けられました。

実は何度もでてくるという、こういうケースも多いのだそうです。

でも、そんな自分のインナーチャイルドもしっかりと受け止めて、「ヨシヨシ(笑)」しましょう。

何故なら、こういうインナーチャイルドこそ、受け止められるのは自分自身しかいないからです。

そして、自分の父親を許していないインナーチャイルドがいても、それもOKなのです。

そういう「自分の父親を許さないインナーチャイルド」も受け入れてあげるのです。

そのインナーチャイルドが父親のことを許さないのは、まだタイミングが来ていないからかもしれません。

あるいは、もしかすると、そのインナーチャイルドは一生父親を許さないままかもしれません。

それでもOKです。

そのままあの世行になってしまってもOK(笑)。

源では繋がってますから・・・。

最終的にはこれは今回の人生の映画のシナリオのワンシーンでしかありません。

でも、子供ってやはり感受性が強いのですね。

子供にとって、強い感情を伴った体験というものは、良くも悪くも本人の心の奥に深く根ざします。

それが大人になっても強い影響力を持ってしまうため、今の現実世界で不自由な思いをしたり、本来のパワーを発揮できなかったりするのです。

でも大丈夫。

こういったワークを行ったり、日々の呼吸法や、その人にとって、よりよい方法で宇宙と繋がることをやっていくと、そのような感情は薄れていきます。

今回のワークで氣がついたことの一つが、「当時の傷ついたインナーチャイルドに、当時の母親の気持ちが同化している」と、解かってしまいました。

父が暴力をふるっていた時に、実際にぶたれたり蹴られたりする事は、圧倒的に母の方が多かったのです。

しかし、「母親の氣持ちと同化していた当時の子供」である自分のインナーチャイルドは、そうとう痛がっていました。

当時傍で事の始終を見ていた子供の私にとって、全部自分がぶたれたり、蹴られたりしたように感じたのでしょう。

酷なようですが、実はこれもよくあることです。

こうやって書いてみると、本当に家庭、そして家族は平和が一番ですね。

家庭、そして家族は、本来は、励ましあい、いたわりあい、くつろぎながら、笑いもある場所です。

たとえ、何かチャレンジングな場面が家族の誰かにあったとしても、本人にとってよりよいアドバイスを与え合う・・・そんな間柄のはずだと思うのです。

池川明産婦人科医や精神科医の越智啓子先生による輪廻転生の話がますます明らかになり、これからは「生まれ変わってくる子供たち」や「親を選んで生まれてくる子供たち」の話がもっと一般的になるでしょうね。

胎内記憶や前世の記憶を持った子供たちも多く生まれてきていると聴きます。

いよいよ、本当の事が語られるようになってきましたね!








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~直感で前世や過去生を思い出し、それで活性化してしまいドラマにはまる(笑)~ [過去生を知る意味]

前回のブログで、自分の前世や過去生のエネルギーを解放する方法のひとつとして「ヒプノセラピー(前世療法)」や「過去生リーディング」のことを書きました。

これらの方法で自分を不自由にしていた不必要なエネルギーを解放できると、とてもすっきりして、その後「大いなる変化」があります。

つまり「次のステップに進む」と、いうことですね。

でも、私の場合は、恥ずかしながら、ヒプノセラピストではありましたが、まったくもって一度も自分の前世を観ることができなかったのです・・・ヒプノセラピーでは・・・。

専門的に学びましたが「退行催眠」では今世の幼少期の様々な場面にはすぐに退行できましたが、なぜか前世となると全くダメ。

「なんで私だけ前世を観ることができないんだろう・・・!?・・・しかもヒプノセラピストなのに・・・」

真剣に悩みました。

しかし、これこそ前世に退行できなくなります。

真剣に悩んでしまうと力が入ってしまい、リラックスせず、催眠状態になりません。

今ならば解かることですが、前世療法などで前世にいかない方は、それ相応の理由があります。

「つまり前世を観る必要がない」という事です。

私の場合、直近の前世がフランク・モリスという犯罪者だったため、潜在意識が観させないようにしてくれていたのだと思います。

あまりに辛すぎるものは、こうやって自分の潜在意識がその過去生や前世を観せないようにしている・・・・・ということを覚えておいて頂きたいと思います。

何事もベストなタイミングというものがあるのでしょう。

今だからこそ解かった事ですが、ヒプノセラピースクールの講師の方々、そしてその場所に集まってくる受講生、そういった方々が、前世でかなり濃い間柄の関係だったという事実がありました。

前世で解放できていない感情を持ったままそういう場所に集まってきた人々と「やり残した感情のドラマ」を演じてしまっていました。

受講する前は、殆どの方々は何も知らず、わからないで受講を申し込んでいます。

でも「前世ドラマを味わう事」も、それはそれで必要な事だったのでしょう。

ヒプノセラピーに限らず、似たような類のスピリチュアルな集まりでは、しばしばそういった事が起こりがちのようですね。

結局そのタイミングで出逢うべくして出逢った「ソウルグループの集団」ということです。

そのように個々の魂が人生のシナリオに書いてきたのです。

「私だけヒプノセラピーで前世や過去生を観ることができないのはいったい何故?なぜ?ナゼ?」ということについて、結果として深い学びをもたらしてくれたヒーリングが、リコネクティブヒーリング[レジスタードトレードマーク]であり、リコネクション[レジスタードトレードマーク]でした。

私の場合、リコネクティブヒーリング[レジスタードトレードマーク]とリコネクション[レジスタードトレードマーク]というエネルギーワークを受けてから、自分の過去生(前世)を直感で思い出すようになってしまいました。

もちろん全員がそうなるとは限りません。

私の場合はたまたまそうなりました。

結果として「自分が知らなかった自分自身の闇(今回の私の親子関係に最も影響を与えた前世や過去生)」を知ることとなったのです。

今まで自分は正しかったのに何故(この考えこそ善と悪の二極性の考え方なのですが)、親がいけない、自分はなんて悲劇のヒロインなんだろう・・・と、思っていた事が根底から覆された、そしてその「闇」についての学びを与えてくれたのが、私の場合はリコネクティブヒーリング[レジスタードトレードマーク]であり、リコネクション[レジスタードトレードマーク]だったわけです。

少々辛い学びではありましたが。

もっと〇〇〇運輸のように「スピリチュアルな学びらくらくパック」っていうのなかったの??(笑)って正直思いましたっけ。









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~過去生その1、その2、その3へ引き継がれてきた宿題とは?~ [過去生を知る意味]

今回は、タイトルにもありますように、「過去生その1、その2、その3へ引き継がれてきた宿題(課題)」について書き綴っていきたいと思います。

私の過去生は、これほどドラマティックにならなかったものも含めれば、勿論もっと他にもたくさんあります。

しかし、今回は解かりやすくするために、今まで書いた過去生から主な魂の宿題(ある種のパターン)を見ていきます。

私の場合は特に、「自己犠牲による献身(つまり自分を枯渇させて相手や周囲につくす)」というのが、どの時代を見ても、色濃く出ていました。

こういった方々は結構多いのではないでしょうか。

「自分を犠牲にしながら相手に尽くす・・・」、という行動パターンです。

小説やドラマにもよく取り上げられる、いわゆる「清貧ドラマ」です。

それは当時の宗教の教えからくる道徳的側面のため、または社会的価値観のためでもありました。

けれども、自分の過去生や前世を振り返ってよく解かったことは、「自分の気持ちを押し殺して(或いは自分の気持ちは後回しにして)」世間的には善行ということに取り組んでいたことが、最終的には「愛されない自分」であった、「フランク・モリス」に繋がっていったように思えます。

「荻野吟子」にしても、子供が産めなくなり、医師になる決意をして産婦人科医(+外科医)になりますが、途中義姉の実子を養子として引き取ることになっても、実際その子にどのくらいの愛情を注げたのか?

ちょっと疑問です。

無条件の愛を養子に注げるほど心が広い人物だったのか・・・。

はたまた愛情深い人だったのか・・・。

むしろそんな心の余裕とゆとりはなかったのではなかろうか・・・と。

それが次の生まれ変わりの「フランク・モリス」に引き継がれていったのではないか・・・と。

「フランク・モリス」では今度は自分が里子として里親に出されて、でも犯罪に手を染め・・・ということで、おそらくモリスは里親からあまり愛情を注がれなかったのだろうと思うのです。

でもそれは「荻野吟子」時代に自分が養子に対してとった態度だったわけです。

でも次の「モリス」の人生では逆の立場となってしまったのです。

「吟子」は人生の半ばでキリスト教の熱心な信者となります。

徹底した悪を否定する「正義感」。

でも次の「モリス」では、自分が否定した「悪」の働きを人生通してやったわけです。

つ・ま・り・何が言いたいかと申しますと、2極(正義と悪、男と女、+と-、陰と陽、貧乏と富豪、などの、対になる2極)の片方を否定することによって、次の人生ではその否定した人生を生きることとなってしまったのです。

実は宇宙の法則で、2極のうち片方を否定すると、「だったらそれを経験しなさい~」というエネルギーが否定した方に流れて強化してしまうという法則があります。

私はそれを過去生でやっていたということです。

でも、さすがに今回の人生では、もうこのゲームの境地にはうんざりしました。

今は、私個人も豊かさを沢山受け取って、周囲の方々(社会全体)に循環させ、更に豊かさを拡大していく・・・という循環が大好きになりました。

なるべく多くの生きしと生けるものが繁栄してほしい(つまり皆が平和で豊かでワクワクした人生を歩んでいってほしい)のです。

全体が繁栄しながら、各々の個性の中でワクワクした充実した人生を送れる世の中にしたいのです。

目覚めた人からどんどんそうなってきているのを感じます。

これからの世の中は全ての国々で、子供は愛される存在で、愛の環境の中で育っていってほしいと願ってやみません。

今の大人の方々にとって、たとえ自分の幼少期が不毛だったとしても、次世代にそれを引き継がず、自分自身の内側をクリーニングして(体のデトックスも必要です)、自ら光り輝く存在に大変身してほしいと思っています。

今はそれができる時代です。

私はそのクリーニングのお手伝い、あるいは道先案内人の役をお仕事のひとつにしています。

私自身も、自分が子供の頃、そして成人してからもなお、子供時代に体験した辛い感情に、大いに苦しみました。

そういった不毛の子供時代を送った大人の方々の気持ちがよく解かります。

し・か・し・それも(!)それでさえも(!)、ご自身が生まれる前に書いてきたシナリオ通りだったのですよ。

自分でゲームをこさえておいて、はまってしまって答えがわからなくなってしまっただけです。

そうなるように自分でしただけです。

今の時代はありがたいことに本当に様々な癒しがあります。

前世療法、過去生リーディング、ヨガ、呼吸法、断食、ファスティング、ローフード(ナチュラル・ハイジーン)、お部屋や家の片づけとお掃除、そのほかの様々なエネルギーワークの助けを借りながら、自分自身の光を出していきましょう。

本当に私達人類はこの時を待っていたのですから。

この時期に合わせて生まれてきたといっても過言ではありません。

自分の内側からの光をどんどん表に出して、周囲の人もびっくりするくらいにキラキラ&ワクワク、ご自身の魂の声、ハートの声に従って目覚めていきましょう!


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過去生、その3、『「あのクリント・イーストウッドも主演した、犯罪者!「フランク・モリス編」』 [過去生を知る意味]

自分の最も直近の過去生(まさしく前世)で、今回の自分が育った家庭環境に最も影響を与えたのが、この「フランク・モリス」という人物です。

彼はアメリカ人で、幼いころから里親に育てられ、13歳ごろから犯罪に手を染め始めたそうです。

アメリカでは極悪犯罪人が最後に送り込まれる刑務所といわれたアルカトラズ島にある、「アルカトラズ刑務所」に送り込まれました。

ちなみにアルカトラズ島は「監獄島」とも呼ばれ、刑務所になる前は、軍事要塞として使われていました。

Wikipediaで調べると、フランク・モリスのIQは133。

いわゆる頭がいい、お利口な人だったようです。

ん??、私の父となんだか似てるようです!

粗野なところ、暴力をふるっていたこと、でもIQは結構よくて、刑務所内では模範生だった・・・まるでうちの父ちゃんの別バージョンのような人物ではないですか(父は逮捕されたり刑務所に入ったことはありませんでしたが、模範生という意味で)!

おまけにWikipediaに掲載されているモリスのお顔は私の父が若いころにとった写真とそっくり(ー_ー)!!

もう絶句してしまいます!

しかもアルカトラズ刑務所の食事では、なぜかスパゲッティー(パスタ)がたくさん出たそうです・・・・。

んんん???

そう言えば、うちの父もスパゲッティーが好きで、家で大量に作っては、大量に食べていましたっけ。

しかも朝食ではホットケーキを食べることが大好きで、まるでアメリカ人のような食生活を送っている時期が長かったのです。

ここまで書いて、勘の良い方はすぐにお解り頂けたかと思いますが、私の父が家庭内暴力をふるい、母や私に辛い思いをさせたのは、前世の私の姿であったフランク・モリスがやってきたこと、彼が当時ふるまっていた様子を鏡のように私に反射させて見せてくれたのです。

言い換えれば「これが前世のおまえの姿だぞ!」と態度で示していたわけです。

一応前世や過去生のカルマは1/10くらいに減らされて、生まれ変わってくるそうですから、これでも前世で自分が起こした出来事よりまだマシだったのでしょう。

神の恩寵ですね。

今でこそ、この「スピリチュアルな親子関係のしくみ」が理解できてますし、自分のこれらの辛かった出来事は、一貫して映画のスクリーンの中の出来事のような見方ができるようになっているので、「ああ、あのときはまだ私、すっかり『大変で可哀そうな子供の役』にはまりきっていて、すごく大変だったんだなあ・・・」と感慨に浸ることができます(笑)。

しかし、少し前までは、父による家庭内DVと、母による「いい子になりなさい」コントロールが、まさしく私自身の今世のリアルな出来事として感情に残っていて、かなり苦しい思いをしました。

私と同じような境遇だった方々の人生の紐解きの役にたてばいいと思い、何度もこのことを「本の出版」を目的に書きたいと思っていました。

しかし、当時書き始めると「猛烈な怒り」が湧いてきてしまい、文章が恨み節になってしまって、書くことを何度もストップしてしまったことを今でも覚えています。

2014年のこの時期だからこそ、こうして自由な気持ちで正直に、そしてOpenに書くことができるようになりました。

神様、守護天使さん、守護霊さん、大天使、アセンデットマスター達、宇宙人の方々、お陰様の皆様方に大感謝です!

ちなみにフランク・モリスは脱獄を試みて、アルカトラズ島を脱出して泳ぎながら陸を目指したといわれております。

「溺死説」と「陸まで上がって逃げ切った説」がありますが、「正解は溺死の方」と、魂さんからのメッセージがありました。

父が統合失調症になってくれたお蔭で、私がスピリチュアルな道を探索したいという意欲に繋がり、そしてついに「すべては、あらゆる事象は、原因と結果のゲームだった!!」ということを知ることになったのです。

ちなみにスピリチュアルな精神科医、越智啓子先生によると、「統合失調症」というのは肉体と意識がずれることで、そこから光が漏れてしまい、ご縁のある霊ちゃんや他の人の過去生をしばらくくっつけて、光を供給してあげて、天国に戻す(つまり光に返す)という方法でライト・ワーカーとしての仕事をしてくれているのだそうです。

たいていそこの家系の浄化を統合失調症になった人が引き受けて、代表でやってくれているそうですよ。

私の場合はそれが父だったという事なのです。

統合失調症の方を家族や友人、知人に持つ方、もう偏見はなくして、どうぞ「この家系にとっての浄化を引き受けてくれているありがたい人なのだ」と思ってくださいね。

それにしても・・・・このフランク・モリス編も、本当にリアルなゲームでした!

けれど、今回の「その3」の過去生から知ったことは、人間ゲームの中で「悪人を演じて下さっている人々がたくさんいる」という視点です。

そうでなくては「善人とはどういうことなのか?どうすれば善なのか?」そして「悪人とはどういうことをすると悪なのか?」という事が学べないからです。

こういう極悪人を過去生で経験している場合は、それと同じくらいの善人(神職関係、宗教関係者、修道女や修道士)として真面目に神につかえる経験をどこかで行っています。

そうでないと、バランスがとれないしくみになっていますので。

どちらも同じくらいの割合で、多かれ少なかれ体験してきています。

今の時代のキリスト教や仏教、その他の全宗教関係者や警察の方々がここの視点に気が付かれると、随分と大きな宇宙視点になってくるのだろうと思います。

できればそうなってほしい、氣づいてほしいですね。

大切なことは、「悪」を否定しないことです。

つまり「闇」を否定しないことです。

完全な悪人はいないんだって。

悪人と呼ばれる人たちは、そのようになる原因と環境がそろって、結果的に悪人になってしまったわけです。

そしてそれは、大抵その前の当人の過去生から何度も繰り返し引き継がれているゲームなのです。

氣がつかず、相変わらず「相手が悪い」と思い込んでいるから終わらないだけです。

これからは、多くの人々の氣づきが深まり、「何が正しくて、何が悪い」というこのゲームも、勧善懲悪のゲームから「悪人」もただ、演じただけだったのだ!という視点に移行していってほしいと思います。

そして・・・どんな人であれ、「その人を光の視点から観る」ことができるようになるといいですね。

もともと私達は、最初は皆同じ存在で「正義」も「悪」もなかったのです。

でも、それではつまらないから「体験する」という「ゲーム」を始めて、「正義」だの「悪」だのといった2極の世界を作ったのでした。

このゲームに氣がついたのならば、これからは「愛する」「育む」「慈しむ」「癒す」という「愛の行動・実践」をどんどん行い、「愛でいっぱい!」「喜びでいっぱい!」「嬉しさでいっぱい!」、そういう世界をここ、地上に創ることを実践していく番です。

そんな地球を次世代に渡せるように、「今ここ」で、自分が愛の心でワクワクしながらできることを実践する場所を創ること、それが今!でしょ(笑)なのですね。

世の中は「大いなる自己のゲーム」です。

ルール変更にしていきましょう。

このゲームはこれから「全体が繁栄する」、そして「真・善・美」の愛が溢れるゲームに変化していきます。

この大いなる宇宙は私達地球人全員に豊たかで幸せになってほしいと願っています。

宇宙視点で捉えれば、この大いなる宇宙は「あいつは憎らしいから豊たかにはしない」などどは思いません。

そう思ったり、考えたりするのは人間なのです。

人間がそのように思い、考え、実行してしまうから、いつまでたっても終わらないのです。

一番大切な事は、人の意識が向上することなのです。













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~私が子供の頃からつい最近までの父について~ [父の摩訶不思議行動]

今日は、私が子供の頃から、2012年以前に至るまでの間、父と私の間に起きていた、不可思議な出来事について、綴ってまいります。

私が子供だったの頃の父と言えば、「とにかく怒りっぽい」、「すぐに怒鳴る」、「癇癪持ち」、「人の悪口を言う」、「怒り出すと止まらなくなり、母を罵倒し、殴る、蹴る」というヒドイ印象の父でした。

そんな状況ですから、親戚一同が集まる場所では皆、最初は世間話だったのが、話の途中から、本人を目の前にして、父の悪口や、父をとがめる、という状況が繰り広げられていたことを、今でも覚えています。

子供ながらにして、「父は皆から嫌われているんだな」と、いうことがはっきりわかりました。

しかも親戚の方々は、子供の私がいようといまいとお構いなし(笑)。

そういったこともあり、自分の父親には、長い間本当に尊厳が持てなかったです。

私の中での父は、まさに「ダメ人間」だったわけなのですが、きわめつけの出来事は「万引き」です。

もういいかげん時効なので、ここには書いてしまいますが、私がまだ幼稚園の年長組だった頃、父はスーパーに私を連れて買い物に出かけることがありました。

その時、私はお菓子売り場で立ち止まって、しばらく眺めていると、「ちょっとまってろ」と父が言い、キャラメルやチョコなど(ポケットに入りそうなもの)をスーパーのカゴに入れずに、自分のポケットや私の服のポケットに突っ込むではありませんか!!

その時立ち止まった私は、やはり子供ですから、「お菓子ほしい!」って思ったんでしょう。

しかし、いくら幼稚園の年長とは言っても、そこで起こっている出来事と、父が試みようとしている出来事はとっさに理解できました。

「お父さんは泥棒をしている・・・」

幼稚園児でもわかるのです。

こういうことは・・・。

そこで繰り広げられた光景は、幼稚園児の私にとって、ものすごくショックな出来事であり、とても傷ついた出来事でもありました。

しかし、この時の出来事について、私は自分自身の過去生を思い出すことにより、「何故、父がそのような行動をしたのか」が、理解できるようになったのです(この事についてはもう少し先でお伝えします)。

さて、このような父からは想像もつきませんが、父自身が子供の頃はとても優秀で勉強ができる子だったそうです。

父は昭和一ケタ生まれで、男兄弟の中では6番目の末っ子でした。

祖父は村長だったらしく、いわゆるその地域では「本家」というところで生まれ育ち、父親からとても可愛がられて育ちました。

その後学業優秀で「陸軍幼年学校」に入学します。

「陸軍幼年学校」というのは、もちろん当時の日本で陸軍に入るための学校ですが、そこに入学するには勉学が優秀でないと合格できなかったようです。

さらにその後「陸軍士官学校」に入学し、卒業を前に、「終戦」を迎えました。

ここで受けた教育というのは、アメリカに敗戦したことで、もろくも崩れ去ってしまったわけです。

これが本人にとって、かなりショックだったのかもしれません。

少年期、青年期に受けた教育というのは本人の人格形成に大きな影響を与えます。

後日精神分裂病(今の統合失調症)を発症することとなりました。
(ちなみに父自身や父方の親戚がその事を伏せて母とお見合いをし、母はそういったことを全く知らずに結婚して、母自身が父が統合失調症だと知った時期が、私が30代後半になってからでした)

それから、父の不可思議行動として、食事内容や食べ方がありました。

私が物心ついた時には、彼の朝食は「ホットケーキ」「牛乳」「卵を焼いたもの」「果物」などなど、まるでアメリカ人のような朝食を食べていました。

「食パン」や「イギリスパン」や「メロンパン」でもなく、わざわざ「ホットケーキ」を作って焼いて食べるのです。

「ホットケーキ」でないとだめだったようです。

その後、しばらくして胃が弱くなったので「卵入りおかゆ」に「味噌汁」というように変化していきましたが、「父の朝食=ホットケーキ」という図式は時々登場しました。

それから「ミートソース」や「ナポリタン」のスパゲッティー(パスタ)が大好きで、父自身が自分で山のように作っては、たくさん食べていました。

そしてその後、市販の胃腸薬を飲むことが習慣になっていました。

とにかく今の時代から見たら「生活習慣病になる」といわれる食べ物や食事が大好きで、大量に作っては、自分でそれを全部食べて胃薬を飲む・・・という事を続けていました。

父は甘いものも大好きで、冬になると、自分で小豆を煮て「おしるこ」を作って食べるのですが、その時のお砂糖の投入量はハンパではありませんでした。

どのくらい凄かったのかといいますと、母と私がそれを食べる時、4~5倍のお湯で薄めて食べたと言えば、よくおわかりになるかと思います。

甘いもの好きも、「これでもか」と、いうくらいに、徹底していました。

この、暴力も含めての、摩訶不思議な父の挙動、行動は、小学生の私にはもちろんのこと、中学生、高校生になっても全く理解することができず、私はなるべく父を避けて生活するようになっていきました。

まあ今から振り返ってみても、これは当然の成り行きだったと思います。

しかし、年月を経て、ここで表現された父の挙動、言動が、自分自身のある過去生を思い出すことによって、「何故、このように父がふるまったのか」がその後わかる時がきたのです。

今ははっきりと言えます。

周囲は自分自身の鏡です。

それは会社の同僚や友人、恋人、伴侶、両親、と、あらゆる人間関係に照らし出されます。

特に過去生からの魂の宿題を終えていない場合、「いったいなんで!」と感じることが、繰り広げられます。

私は父が嫌いでした。

しかし、今ではスピリチュアルな学びをするために、この父を選び、また、彼にこのような挙動言動をさせたのだ・・・と理解しています。

人生のしくみは学校では教えてくれません。

自分で体験して学ぶようにできているようです。
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~自分の心の闇を認め、闇に感謝して、愛を送り、本来の自己の光に返す~ [自分の闇に感謝するということ]

冒頭から重たい響きの感じのタイトルですが、これができるととってもお得です。

それはもう、スーパーとか百貨店のポイントのようです(笑)。

まず「闇」って何?というところから、スタートだとします。

「自分の心の闇」とは、「恥ずかしくて人に言えないような醜い(一般的な表現として)感情」だったりします。

「怨念」だったり、「すご~くエッチなこと」だったり、「〇〇を殴ってしまいたい」感情だったり・・・それはもう、
人それぞれで、十人十色、百人百色なのです。

このブログのタイトルから例を挙げるとすれば、「おやじなんか(おふくろなんか)〇〇!!」みたいな感情でしょうか・・・。

こういったことは、普通、表向きに語られる事は少なくて、どうしても隅っこの方に追いやってしまいます。

まあ、当たり前ですよね。

自分だってそうそう見たくないですものね。

気持ちはよくわかります。

以前の私がそうでしたから。

そう、殆どの人は、自分の感情の中に在る、その「闇の感情」を認めてあげないのです。

実はこの手の、一般的には「ネガティブ」と言われる感情(或いはどうしようもなく恥ずかしい感情)を、素直に自分の感情として、いっその事認めてしまった方が、とってもお得なのです。

確かに最初はすごく抵抗したくなるかもしれません。

なんと言っても、ご自身の「プ・ラ・イ・ド」が許さないかもしれません。

「そうだ~!!プライドが許さねえぜ(笑)」

ですが、敢えて何度も書きますが、自分の心の闇は認めてしまった方が楽です。

この方法なら、闇から光へのエネルギー転換率100%(笑)。

自分で行うのが難しいようならば、セラピストの手助けを借りるのもいいと思います。

自分で、「あっ私って〇〇〇っていう思いがあったんだ。そ~か、そ~か、エラかったねえ、我慢してたんだねえ。私(俺)って、そういう超悪女(悪い男)なところがあったんだ。そうかそうか。まあいいよ。そういう両親に(環境に)育ったしね。そういうどうしようもない私(俺)も大好き~。ありがとう~♡」と、その気持ちに語りかけて癒してしまうのです。

巷でこれをもっと簡潔に表現しているのが「ホ・オポノポノ」だと思います。

こういう「自分の中の闇の感情」を認めて、愛して、感謝の気持ちを送ると、なぜか「闇の感情がす~っと成仏(笑)」していきます。

つまり闇から光へエネルギーが変換されるのです。

名付けて「自分の闇感情リサイクル(笑)。」

闇の感情を再び光へリサイクルしていますので、とってもエコでお得です。

過去生や前世、そして今回の人生でも、子供の頃からつい最近までは、「正しい」、「悪い」で判断していたご自身がいて、いわゆる「好ましくない感情」を封印してきたのです。

でも、その闇の感情を避けてばかりいても、ずっと追いかけてくるだけです。

それが原因で、世間では事件や犯罪になってしまっている部分も往々にしてあると思います。

ご自身の闇の感情を認め、愛し、感謝して光に返すことで、ご自身の光エネルギーに戻ってくれます!

宇宙も喜び、自分もスッキリ!!

そして自分の愛のエネルギーが倍増♪

「闇の感情も宇宙循環でリサイクル!」できますね!

皆さんも、ご自分の「闇の感情リサイクル」、ぜひやってみませんか?

スッキリして、おまけにご自分がパワーアップして、とってもお得です。

お勧めします!
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~過去生、その2、『日本、幕末から明治にかけての時代、荻野吟子編』~ [過去生を知る意味]

「荻野吟子」という人物をご存じでしょうか?

荻野吟子とは、日本が幕末だった時代に、現在の埼玉県熊谷市妻沼に生まれ、その後苦労を重ねながら、日本で初めて西洋医学の女医となった人物です。

その吟子さんですが、私は吟子の魂を何パーセントか引き継いで生まれてきていたことがわかったのです。

実は私が以前住んでいた場所が熊谷市。

その熊谷市在住の間に、この事が分かり、とても衝撃を受けたことを今でも覚えています。

「自分は荻野吟子だったことがある!」

そのあまりのシンクロの凄さ!

このことに気が付いた瞬間に、何故か熊谷市駅周辺一帯で、大きな雷が発生し、稲妻が轟き始めました。

もともと熊谷市は雷の発生が多い地域でもありますが、まるで何かの合図でもあるような瞬間でした。

ジャンヌ・ダルクの過去生が分かった事を書いた時に、同じ事をお伝えしましたが、荻野吟子さんの魂の何パーセントかを持った方、というのは複数名いて、私はそのうちの一人です。

しかし、今思えば荻野吟子の魂の解放は、「私は過去生で荻野吟子だったことがある!
といったことについて、現在の私が知ることとなる」といったストーリーで、きっと私の人生のシナリオに
組み込まれていたのだろうと思うのです。

そのくらい濃い、感情の解放の経験をしました。

いずれにしても、私の場合は熊谷市に住んでいる頃、どういうわけか、丁度ヒプノセラピー(催眠療法)
について学び、ブライアン・ワイス博士のことや、過去生療法に取り組んでいる越智啓子先生のことを知り、
輪廻転生について、はっきりと「人は輪廻しているのだ」と知ることとなった時期でした。

「元『荻野吟子』が埼玉県熊谷市に住みながら、前世療法を学び、自分は荻野吟子だったことがある」と知ることとなった出来事は果たして偶然なのでしょうか?

それとも守護天使といわれている存在と共に、自分自身が生まれる前に書いてきたシナリオだった
のでしょうか。

よくヒプノセラピー(前世療法)や過去生リーディングなどを受けた時の一般的な理解として、「自分の前世がわかった!私は当時の自分の前世にできなかった〇〇〇をすることが今回の私の人生の使命だ!」というような解釈があります。

これはある意味において、とても有効な過去生から持ち越してきている感情の解放だと思います。

自分の人生の目的や使命といったことが分かりますし、そうすると今の人生に対しても、ただぼんやりと
或いはモヤモヤしながら生きるのではなく、目的意識を持ちながら、「人は輪廻転生しているのだ」ということを体験として学ぶわけです。

「目に見える事や、学校や社会で習う事が全てではない」ということを、体験的に知ることになります。

私の場合、ヒプノセラピーや過去生リーディングなどで、セラピストが感情の解放を導くのとは別に、
直感として「自分が過去生で荻野吟子だった」と解かってしまいました。

言葉で説明することがとても難しいのですが、自分の過去生がわかる瞬間というのは、
とにかく「そうだった!」と氣づくために、ありとあらゆるヒントのような出来事が、身近な場面で何度も
現れたことを覚えています。

その後「直感」で、「自分の過去生は荻野吟子だったことがある!」と氣づいたわけです。

この出来事は、結果として、自分が荻野吟子だった時代の魂の記録を活性化してしまう事となって
しまいました。

セラピーを受け、セラピストが感情の解放のお手伝いをするのとは違って、この、「前世の記憶の活性化」の場合、この時代のやり残しのドラマをいくつか演じることとなってしまいました。

当時の人間関係や、恋愛感情が再現されたり、似たようなことを行動してみたりと、そのまま当時のやり残しともいえるような感情的ドラマを体験することになりました。

「過去生のやり残し感情ドラマ」は実際ハマってみると、私の場合は結構辛いを体験したことを
覚えています。

そのくらい「濃い」ドラマでした。

それでも今では必要な出来事だったと理解しています。

その時の魂の解放メンバーは、まさに荻野吟子の一生について書かれている小説に出てくる面々でした。

「荻野吟子」については医師で作家の渡辺淳一氏が、小説「花埋み(はなうずみ)」として発表しています。

偶然なのか、後々私の守護天使が予め設定してきたシナリオだったのか、「花埋み」の初版は私の生年月日と同じなのです。

守護天使も素晴らしい演出です(笑)。

はっきりとわかるように(笑)、しかも私にとってはセンセーショナルに、演出をしてくれました。

「荻野吟子」もまた、女性として沢山の屈辱を味わいながら、苦労して医師になり、そしてまた、苦労して
亡くなった女性だったようです。

彼女の人生のいくつかは、当時の私の父の性格や母の性格に投影されていました。

つまり私自身の癒されていない内面(過去生)の鏡だったということです。

私の父はよく、「変人扱い」されていましたが(統合失調症だった)、実際当時の荻野吟子もまた、「変人扱い」されていたようです。

難関と言われた医師になるための試験も、男性からの差別も、お金の工面も、自分の執念をバネに、
突破して、最後はとうとう念願の医師(現在の産婦人科と外科)になりました。

しかし、当時の状況からすると、立派だったとはいえ、苦難まみれだったようです。

最後は幸せとは言えない死でしたから、ある意味とても「悔しい」という思いを残して死んでいったのでは
ないかと思います。

その執念みたいなものを、今回の人生の最初から中盤までは、私自身が背負っていたとは・・・・・とても
衝撃を受けました。

吟子の感情を解放する事は、今思えばとても大変でした。

ヒプノセラピー(前世療法)」や過去生リーディングで解放できればもっと楽だったのかもしれません。

しかし私はそういったものでは解放できず、先に直感で思い出してしまったため、感情ドラマを
演じてしまいました。

でも、これも意味があったようです。

ヒプノセラピーを受けても前世を体験しない人もいらっしゃるかと思いますが、これも理由があるのです。

「人生のシナリオ」は・・・「本当に私がコレ書いたの?」って、言いたくなってしまうことがたくさんありました。

いずれにしても、この体験は、人間関係や自分のある種のパターンを知ることとなり、深い学びの体験を味わったといえます。

けれども大きな感情ブロックが外れ、過去生やり残し感情ドラマが終わってくると、当人にとって、
「素晴らしい世界の夜明け」に繋がっていきます。

ドラマを演じている最中は全く信じられないことでしたが。。。

それは今になって、ようやく「しみじみ」と解かってきました。

そして「人生のしくみと演出」に、感謝の気持ちが芽生えてくるのです。




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~過去生、その1『フランス時代 ジャンヌ・ダルク編』~ [過去生を知る意味]

自分の過去生の中のひとつに「ジャンヌ・ダルクだったことがある」と、いうものがあります。

ところで過去生という概念についてですが、最初にまずお伝えしておきたい事は、「ジャンヌ・ダルクの過去生を持つ人はたくさんいる」と、いうことです。

有名人の過去生があるからと言って、特別だというわけではありません。

また、特に偉いというわけでもありません。

ジャンヌ・ダルクの過去生を持つ人はたくさんいるし、マリー・アントワネットも、クレオパトラも、たくさんいるのです。

モーツアルト、もルイ14世も、聖母マリアも、マグダラのマリアも、そしてイエス・キリストも、たくさんいるのです。

それが日本の歴史上の人物であれば、徳川家康も、豊臣秀吉も、そして織田信長も、たくさんいます。

今普通の人として、そういったの魂の記録を何パーセントか持っている人々がたくさんいるのです。

魂というのは分魂します。

つまり魂だけになった後、くっついたり、離れたりして、いろいろなバージョンとバリエーションを経験しているのです。

皆さん、それぞれ「何パーセントかを持つ」という形で生まれてきます。

まるごと「誰かの生まれ変わり」というのは特殊なケースだと思います。

つまり意識はある意味において自然界の循環のような形をとっているのではないでしょうか。

例えて言うなら、意識(魂)は、水のようなものであり、空から雨として降り、それが土に浸み込み、川となり、海へ合流し、また、蒸発して雲になり、雨を降らすという一連の流れの中に組み込まれているようなものなのではないでしょうか。

前置きが長くなりましたが、そのジャンヌ・ダルク時代の過去生で、監獄に入れられたり、ムチうちに会い、拷問され、最後は「火あぶりボーッ」だった経験が、再び今回の人生で、自分が観ている父と母の関係で再現されていたようなのです。

当時よほど辛い想いを残したまま亡くなったのだと思います。

敬虔なキリスト教徒であったジャンヌはあらゆる困難を耐えて人生を生き切ったと言われています。

けれども「辛く苦しかった」ことは事実であり、それが今回の私の人生に持ち越されてしまったのかもしれません。

その辛さ、苦しさを、「父と母に投影する」という形で今回の人生で現象として現れ、また、そのことが、私自身が「人生のしくみ」や「意識」と言った概念について、氣づきを深めるための出来事だったとも言えるのかもしれません。

強い感情を伴った経験というのは、それが一般的に言う負の経験(恐怖、不安、罪悪感、など否定的な感情と言われるもの)だった場合、その人生で解消できずに一生を終えてしまうと、その次の転生に持ち越されるようです。

また、それが原因で病気になるケースもあるようです。

前世療法や過去生リーディングで病気が治ってしまうケースなどは、まさにこういったケースなのでしょう。

最近では子供達が生まれた後に、数年経ってから、前世を語りだすケースがあるといった話もよく耳にするようになってきました。

やはりどうやら、その時代に解消できなかった感情を解放するために、或いは全く真逆の役を演じるために、それを演じてくれるのにふさわしい両親を選んで生まれてくるようです。

輪廻転生とは、実際その繰り返しであり、今の時代、1つの過去生だけでなく、その積もりに積もった「やり残し」や「負の感情の解放」をたくさん抱えて生まれてきた人が多く、それを解消するためにいろいろな癒しを経験しているのでしょう。

そしてそのことが、人々を「気づき」に向かわせ、そして「意識の向上」に向かわせているのではないかと思っています。

今それが大分進んで「輪廻転生」を真実として信じる人が多くなってきたのではないでしょうか。

医師の方々、医療関係者の方々のおかげで様々な事が明らかになりつつある時代になってきました。

日本は今、未だかつてない、平和でありがたい国家として存在しています。

一方で、世界の様々な国では、まだ戦争や紛争にあけくれているところもあります。

未だいくつかの国々が争いの中にいるにも関わらず、日本に生まれたという事は、とても特別でありがたい事なのです。

その平和をさらに世界平和や地球全体の調和に拡大していく為に、そろそろ「人は生まれ変わっている」という事実を認めてもいいのではないでしょうか?

医師の方、医療関係者、スピリチュアルなワークをしていらっしゃる方、そして全く普通の方が、どんどん「人は生まれ変わっている」といった話を語り始めています。

そうすることで、「本当の事」がわかり、人を傷つけること、暴力、戦争、差別、そういったことがいかに意味のないことなのか、そろそろ皆が気づいていくための、ある意味「教材」のようなものが出そろってきていると感じるのです。

別の言い方をすれば、その手の学びは終了させて、もっと上のレベルに移行する時期なのです。

地球上に暮らす全員が、もっと自由に、そして輝きながら人生を生きるようになればいいと思いませんか。

今回の人生で、「自分がジャンヌ・ダルクだったことがある」と、氣がついてしまったきっかけは、スピリチュアルな精神科医師でもある越智啓子先生とのご縁で2007年にフランス・ツアーにご一緒させて頂き、その後、この事が私の中で解かりました。

私は自分でヒプノセラピー(催眠療法のこと、前世療法や退行催眠など、過去生を思い出すきっかけとなった「ブライアン・ワイス博士」が第一人者です)をしていたことがありました。

しかしその時は自分がジャンヌ・ダルクの過去生を持っていた事は知りませんでした。

その時々でお会いする/交流する方々によって、思い出すベストなタイミングというものが、それぞれの人に設定されているのでしょう。

ちなみに前世や過去生、輪廻転生など、こういったことに全く関わらない方もいらっしゃいますが、それはそれでOKなのです。

そういった方には別の大切なお仕事がありますし、本当は「今を生きる」ことが最も人生を充実させる生き方だからです。

「前世」や「過去生」の概念はとても大切です。

しかし、これらのドラマにはまらずに、「今を生きる」ことが最も充実した人生と言えるのではないかと思います。

けれどもどうしても以前の感情解消のやり残しが必要であれば、そのドラマを演じることもまた、その人にとって必要なことなのかも知れません。

そこからの学びもたくさんあります。


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~父や母の嫌な面は自分自身の内面を映し出す鏡だった!~ [まるで「ファインディング・ジョー」!]

全国各地の小さな劇場ホールや自主上映会などで、~ファインディング・ジョー~「英雄への法則」という映画が上映されているのを既にご覧になりましたか?

私もなんとなく氣になりましたので、観てきました。

この映画の中で、象徴的なシーンがあります。

始めに少年が「悪魔(或いは悪と呼ばれる存在)」に向かって剣を持って戦いを挑むのですが、最後に少年は仮面を脱いだ「悪魔」と抱き合うのです。

この物語は断片的なストーリーで構成されており、それぞれの登場人物が人生での困難な状況について述べたり、英雄の旅について語っていきます。

「悪」とはいったい何なのでしょう?

「悪」とは生まれる前に人生を面白くするために、または前世からの宿題の解消のために(カルマの解消とも言います)、或いは人々の意識向上と宇宙の発展のために、それぞれの人生において、予め設定されたキャストなのだろうと思うのです。

つまり「悪魔」だとか「悪」だとか、一般的に言う「悪い奴」は、その人の人生に設定されたキャストなのです。

そして、その「悪」を「悪」と思ったまま生涯を終えるのか。

それとも、その背後に隠された深い意味を知り、相手を許し、その役割をしてくれたことへの感謝を送り、生涯を終えるのか・・・。

私はぜひ後者を選びたいです。

多くの方々が、まだこの法則に、氣がついていないように思います。

しかも、この事は、個人的な事柄から国家レベルの事まで、つまりミクロレベルからマクロのレベルまで同じ法則が成り立っているのではないかと思うのです。

ですから私の両親は、私の為に「悪役」を演じてくれていたということになるのです。

今ではようやくこのような事を言えるようになった私ですが、恥ずかしいことに、つい40代前半まではこんな風に思っていました。

「なんてひどい、悪い父なんだろう・・・」

「なんてひどい、悪い母なんだろう・・・」

「私はなんて可哀そうな子供なんだろう」

幼少時から短大を卒業し、成人してからも何かにつけ母を罵倒し、暴力をふるう父は、とても父とは思えませんでした。

日常的に父が母をののしったり罵倒したり、殴ったり・・・そして母の悲鳴や泣き叫ぶ声がある・・・というのは子供としては最悪の環境だったと思います。

そんな当時の父は、私にとって軽蔑の存在以外の何物でもありませんでした。

母は一度私を連れて、実家へ帰ってしまったこともありました。

しかし、再び父と一緒に暮らし始めて、再び同じことが繰り返されるようになってしまいました。

子供ながらに「離婚すればいいんじゃない?」と母に向かって言ったら、「う~ん・・・でもねえ」と答えにならない返事が返ってきたことが何度もありました。

子供だった私にとってでさえ、「あんなにぶたれたり叩かれたりしているのになんで一緒に暮らしているのだろう?」と思うくらいひどい状態でした。

しかし、あれだけひどい目にあっていても、母は父と一緒に暮らしていました。

そして事あるごとに、「お願いだからお父さんを怒らせるようなことはしないで!」と私に言うのが口癖でした。

母は暴力をふるったり、罵ったりする父が怖かったのですが、子供だった私がふと発した言動が、「父をまた怒らせるきっかけになりはしないか」と、いつもヒヤヒヤしていたようです。

今ならそれは理解できるのですが、当時の母は、私が思ったことや、感じたことを直ぐに口にすることをとても嫌がりました。

両親と一緒に暮らしていた間は子供ながらに本当にきつかったです。

「早く親元から独立すること。」

「そして経済的にも自立して、親の指図は受けず、自由に暮らす。」

「親とは一緒に住まず、なるべく会わない。」

短大当時の私の夢でした。

随分とひねくれた夢のように思われるかもしれませんが、当時の私はまじめにそのように考えていました。

そしてそれを実行に移すべく、航空会社や外資系企業に入社することを目標にし、それを達成しました。

「やっと自由になれる!」

仕事はかなり忙しくハードワークが待っていました。

しかし、両親や自分の育った家庭環境のことを思い出す暇もない事は、当時の私にはかえって好都合でした。

お給料は同じ年齢の女性の平均値と比べると高い方だったと思います。

そのお金を使って旅行に行き、友人とおしゃべりを楽しみ、そして都内で一人暮らしができた事は、子供の頃は家にいると氣が休まらなかった私にとって、至福そのものの時間でした。

時折幼少時の記憶が私を苦しめる事と、自分の家庭環境の秘密を隠している事を除けば・・・「自由になった!」と思い込んでいました。

そして当時はまだ知る由もありませんでした。

私自身の前世が原因となる宿題を持っていたということを。

いとこのKちゃんが「私、カルマとかってあると思うのよ」と、私がまだ小学生高学年ぐらいだった時、面と向かって語っていたことを思い出します。

小学生の私には『カルマ』は難しすぎて当時は何のことやらさっぱりわかりませんでしたが。

しかしそれ故、辛い親子関係が展開され、このような家庭環境で育つことになったということを。

そして、その両親を、環境を、「生まれる前に自分で選んで決めてきた!」という法則を。





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